| 01.一粒のコーヒー豆に託したものは・・・ 日本のみなさん、こんにちは。トルマリン農場主の島野俊弥です。 トルマリン農場は日本から見ると地球の反対側、ブラジルにあります。ここから「生産農場直送」という形で、みなさんのお手元に「トルマリンコーヒー」をお届けしています。 コーヒーは世界中で飲まれているポピュラーな飲み物で、今ではどこでも手軽に手に入れられるようになりました。「なぜ、わざわざ遠いブラジルの生産者が日本へ送っているのだろう」と思われるでしょうか? たしかにブラジルのコーヒー豆も、その大部分は大手商社などを経由して日本に輸入されています。けれども考えてみてください。どこでも手軽に飲めるコーヒーは、すでに「大量流通商品」として加工されたものなのではありませんか?そのコーヒーから作り手の「顔」はみなさんに見えているでしょうか。 「もの」を買うということは、その「もの」の背景にある様々なものまでを自分の生活の中に受け入れることでもあります。たったひと粒のコーヒー豆であっても、そこには生産に携わった多くの人々の思い、育んだ大地の記憶がしっかりと刻み込まれています。私が「農場直送」にこだわるのは、遠く離れたブラジルの作り手の「思い」もまた、日本でみなさんが飲む一杯のコーヒーの中に届けたいと願っているからなのです。 |
| ▲トルマリンコーヒー・ストーリー TOP ▽NEXT |
| 02.ブラジルへの移住 日本で生まれ育った私が遠く離れたブラジルでコーヒー栽培を始めるまでには、長いお話があります。 1958年10月、26歳の私が初めて新たな人生の幕をあげるべくブラジルの地を踏んだのは、移民船「ブラジル丸」が着いたサントス港。土いじりが好きだった私は北海道の大学に進んで畜産学を学びましたが、子供のころ家庭菜園で作ったたくさんの野菜に近所の人が顔を輝かせて食べてくれたときの喜びを忘れられず「広い大地で農業をやりたい」 とブラジル行きを決めたのでした。 しばらく経って私はまずアメリカ資本の製薬会社で動物医薬品の販売セールス兼アフターサービス要員として働き始めました。大学で学んだ畜産の知識を生かせるうえ、各地を飛び回るセールスという仕事はこのブラジルという広大な国のことを知るにはうってつけだったのです。ブラジル各地の畜産農家を訪ねてジープで走り回るセールスの旅。当時の交通事情は今ほど良くなかったので、大変なこともたくさんありました。けれども私がブラジルという大きな国で多くの人々に出会い、様々な物事を発見してきたのは、振り返れば何よりも自分の足で動き回り、自分の目で確かめるという経験を積めたこの日々から始まっているのだと思います。 66年には独立して動物医薬品の製造販売会社・FATEC社を設立しました。セールスの旅で得た知識と経験から、畜産農家へは単に医薬品だけではなく、その医薬品をどのように使うか、またその前に家畜の健康自体をどう管理するのかという「技術サービス」もまた届けるべきだという考えに至ったのです。幸いにも「技術サービス」を重視する販売方法は支持をいただき、会社は急成長してブラジルでもユニークな存在として認知されるまでになりました。 仕事は軌道に乗り、充実した毎日でした。けれども頭の片隅にはいつもブラジルへ渡った動機でもある「農業をやりたい」という思いが消えずに残っていたのです。 |
| △BACK ▲トルマリンコーヒー・ストーリー TOP ▽NEXT |
| 03.28年目の夢実現 この思いを現実にしたのは1986年。当時持ち込みが許されていた50ドルの全財産を握りしめてサントス港に降り立ったあの日から、すでに28年の歳月が過ぎていました。 長年温めてきた農業への夢を、ついに実現するのです。人と同じやり方では面白くありません。やる以上は創意工夫を凝らして「自分にしかできない農業」を追求してみたい。そう考えていました。 ブラジルの農業といえば、まず浮かぶのがコーヒーというほど、伝統的にコーヒー生産国としてトップの座に君臨してきた歴史があります。ということは、この国がそれだけコーヒーを生産するのにふさわしい条件を持ち合わせているということでしょう。 実は私がコーヒー栽培に照準を合わせた当時、ブラジルコーヒーは量産を重視するあまり、品質は二の次となっていました。味の評価は今一つというのが定位置になり、しかもそれはもう驚くほどのことではないという状況が続いていたのです。このことを知った私の農業への目標は自然と「最高のコーヒー豆」を作ることに定まっていきました。とはいえコーヒー栽培にかけては素人の私が、最初から頂点を目指すことは無謀ではないかと思われるかもしれません。しかし私にとってコーヒー栽培はもはや「ビジネス」ではないのです。長い間温めてきた私の夢を実現してくれる、残りの生涯を賭けた「ホビー」ともいうべき存在。採算が合うことよりも、自分が納得できるものを作り育てることのほうが、ずっと重要だったのです。 もちろん、その道のりは決して安易なものではなく、栽培を手掛けてから「トルマリンコーヒー」を生み出すまで、試行錯誤を10年近くも繰り返すという長く厳しいものとなりましたが・・・。 |
| △BACK ▲トルマリンコーヒー・ストーリー TOP ▽NEXT |
| 04.理想のコーヒー作りを求めて 「最高のコーヒー豆を作る」という目標を現実化するためには綿密な計画が必要であり、私はまず良質なコーヒー豆を栽培するための方法を探して徹底的な調査を行いました。 最も重要なのは栽培地の選定です。ブラジル内陸部には日本国土の5倍近い面積を持つ広大なサバンナ地帯が広がっていますが、ここは一面に生い茂るイネ科植物とまばらな低木に覆われた「セラード(Cerrado)地帯」と呼ばれ、長らく「閉ざされた地」として手つかずのまま放置されてきました。70年代から開拓が始まり現在はブラジル農産物の一大生産地になっていますが、雨季と乾季が明確に分かれているだけではなく昼夜の温度変化も大きいという厳しい気象条件をもつため、農産物の栽培にはかなりのリスクを負わなければいけません。しかし逆にこの厳しい環境を利用することができれば、高品質のコーヒー豆を安定生産することが可能なのではないかと私は確信するようになりました。 なぜなら他の農作物と同様にコーヒー栽培も天候、特に「降雨」が最も重要な要因になるからです。適度な雨量は必要ですが、コーヒーの品質を左右する鍵を握っているのは雨の降る「時期」。降雨の平均した地域ではコーヒーの花が数回にわたって開花してしまうため、結果として収穫時には熟した「赤実」・未熟な「青実」が混在して木に生っていることになるのです。赤実と青実では乾燥速度に差があるため、どうしても均一の乾燥度合いには仕上がりませんが、手摘みで1個ずつ実を選ばない限り、かなりの確率で赤実と青実が混合してしまいます。また精選・乾燥後に選別を行うのは非常に難しく、青実を完全に除去することはできないのです。 そこで高品質のコーヒーを生産するには、まず収穫の時点で青実混入を徹底的に防ぐことが最重要課題になるという考えに至りました。平均して降雨のある伝統的コーヒー栽培地帯ではなく、あえて雨季と乾季が明確に分かれているセラード地帯を選び、前代未聞の「大規模灌漑方式による完熟コーヒー栽培」を行うことにしたのです。 |
| △BACK ▲トルマリンコーヒー・ストーリー TOP ▽NEXT |
| 05.完熟コーヒー栽培の実現 ブラジル最大の都市サンパウロからモンテス・クラーロス空港まで空路2時間、そこからさらに車を飛ばして約2時間半。セラード地帯のミナスジェライス州北東部トルマリーナ郡に、私の夢だった「トルマリン農場」があります。 標高1000mの丘陵高原に位置する農場の総面積は4000ha。この地帯では5月?10月が乾季、11月?4月が雨季になるのですが、乾季9月の農場ではコーヒーの木が雨の到来を今か今かと待ちわびながら、びっしりと付けた花芽をぎりぎりまで充実させていきます。灌漑を開始すると木は大喜びで待望の水分を枝の隅々まで浸透させ、12?15日後には一斉開花。農場一面が咲き揃ったコーヒーの花で真っ白になり、ジャスミンに似た芳香で包み込まれます。そして始まる雨季の降雨により翌年1月までには完全に結実し、「VERANICO(短い夏)」と呼ばれる2月の30?45日間の乾燥期を経て3月?4月の雨で熟成します。収穫の始まる6月には見事に完熟した実が枝にびっしり生っている、という最良の状態になるのです。 焙煎したコーヒー豆しか見る機会のない方には意外に感じられるかもしれませんが、コーヒーはもともと「果実」です。この果実から取り出した「種」の部分が飲用する「コーヒー豆」。木で熟した果実が一番おいしいのと同じように、もちろんコーヒーも木で熟したものが最も植物としての力に満ちています。トルマリン農場では灌漑による一斉開花で結実から熟成までゆっくりと時間をかけて生育させることができるため、木で熟した実から取れる「コーヒー豆」には自然が与えてくれた旨味の素が凝縮されているのです。 木で実を熟させることができるのは、コーヒーの木そのものが健康だから。言うのは簡単ですが、残念なことにブラジルのコーヒー園でも収穫量を優先するあまり、化学肥料や農薬を大量に使用しているところが数多くあるのが実情です。本来の力を失った土壌で脆弱に育つコーヒーの木では、完熟するまで実を持ちこたえることができません。トルマリン農場で収穫される完熟した実は赤というよりも暗い赤褐色をしていますが、これはコーヒーの木が健康に育ったからこそなのです。 |
| △BACK ▲トルマリンコーヒー・ストーリー TOP ▽NEXT |
| 06.自然の力と人の知恵の二人三脚 トルマリン農場では灌漑施設を導入して人工的にコーヒーの開花時期を調整していますが、これはコーヒーの実の熟度を揃えるためであり、栽培の基本姿勢は植物の力を最大限に引き出す「自然農法」です。健康な植物が育つ絶対条件は、地力の充実した良質の土。決して肥沃な大地とはいえない「セラード地帯」で、即効性はあっても肝心の土壌を蝕んでしまうような化学肥料に頼っていては、いつまでたってもコーヒーの木を力強く育ててくれる本当に豊かな土ができないのです。 「トルマリンコーヒー」を生み出すため試行錯誤を繰り返した10年の大部分は、この「土作り」に費やしたといっても過言ではありません。新規に開墾した土地には1ha当たり20tという大量の石灰を投下して土壌改良を行ってきただけでなく、毎年の補充としても1haにつき2?3tを使用しています。また有機肥料についても年間に1 ha当たり鶏糞堆肥4t・青刈り大豆30t・牧草堆肥20tを継続して大量投入しています。これらによって地力を高め化学肥料の必要量を極限まで減らすことができ、土壌は現在も毎年改善され続けているのです。さらに日本の有機栽培農家でもすっかりお馴染みとなった土壌有用微生物を使用することで土壌バクテリアの働きを活発にし、投入された有機肥料をより効率よく土に還元して土壌の肥沃度を高めています。こうした地道な「土作り」によって力強くなった大地は植物本来の力を十二分に引き出し、生命力に溢れた強健なコーヒーの木を育ててくれるようになりました。病気や虫害への抵抗力も強くなり、結果として農薬を多用しなくてもよくなったことになります。 私たちは理論的な栽培管理を行っていますが、その目指すところは大地を豊かにし、その恵みをコーヒーの実に昇華させていくことです。人の力で無理に自然をあやつろうとしても、おいしくて安全なコーヒーはできないでしょう。「自然の力」と「人の知恵」による二人三脚が成り立ってはじめて、豊かな恵みが得られるのではないでしょうか。 |
| △BACK ▲トルマリンコーヒー・ストーリー TOP ▽NEXT |
| 07.おいしさの「農場直送」 1986年にトルマリン農場を手掛けてから、実際に納得のいくコーヒー豆が商品化できるようになるまでには数年の年月を費やしました。しかし近道をせず地道に徹底して行ったことが文字通り実を結び、今ではどこに出しても胸を張れる高品質のコーヒー豆を安定して出荷できるまでになったのです。その品質の高さはブラジルコーヒーの品質向上を目的として結成された「ブラジル・スペシャルティ・コーヒー協会/BSCA」の「スペシャルティ・コーヒー」(生産者から直接消費者に取り引きされる生産者保証付きの高品質なコーヒー豆)としても認定されています。また生産の姿勢についても、コーヒーの生産・加工について安全と信頼を保証する世界標準プログラム「グッド・インサイド(Good Inside)」から「安全で信頼性の高いコーヒーを生産する生産者」としての認証を受けています。 「ビジネス」としてではなく「ホビー」として取り組んだからこそ、途中で妥協することなく「最高のコーヒー豆」を作ることに専念できたのかもしれません。しかし自分が納得できるコーヒー豆を作れるようになると、今度はそれを広く他の人にも味わってほしいという次の目標が出てきます。コーヒーの品質に厳しいイタリア・スイス・ドイツといった国々のバイヤーたちがトルマリン農場から出荷される豆の大部分を買い求めてくれるようになりましたが、できれば私のふるさとである日本の人々にも味わっていただきたいという気持ちが常に心の中にありました。 日本もまた真摯なコーヒー愛好家が多い国ですが、輸入されているコーヒー豆の多くは生産現場の事情に疎い大手商社の手によるものです。多数の農園から集められた状態の違う生豆を取り混ぜて現地バイヤーから買い付けるなど細やかな仕入れを行っているとはいえず、品質的にもバラツキが多いため決して「最良のコーヒー」とはいえません。また日本のコーヒー市場には特殊性があり、良質な豆は国際価格に比べ非常に高価なものとなっているのが現状です。コーヒーを愛する日本の人々に適正な価格で「トルマリンコーヒー」を届けたい。そんな思いが私を「直販システム」の実施へと導いてきたといえます。 私が幾つもの夢を実現できたのは、自分のやりたいことを決して諦めなかったこと、人との出会いに恵まれていたことのおかげだと思います。こうして「生産農場直送」という形で「トルマリンコーヒー」を日本のみなさんにお届けできることになったことを、心から喜んでいます。 |
| △BACK ▲トルマリンコーヒー・ストーリー TOP |
|